恩の遡源

「今私たちが味わっている苦痛は、私を産んでくれた母の出産時の苦痛に比べるなら、千分の一、いや一万分の一にも及ぶものではない。その母に抱かれ、乳を飲み、子守唄を耳に眠り、おしめを替えてもらい、言葉を覚え、やがて歩けるようになった。そのことも忘れ、まるで自分ひとりで勝手に大きくなったと錯覚し、親に反抗し、親を困らせ、親を悲しませ、どれだけ親を泣かせてきたことか。そんな親不孝者にいった何が出来るのか・・・。
尊い生命を父母から頂いたおかげで現在の自分がある。そのことに想いがいたれば「ありがたい」」と心から感謝をささげ、親を尊敬し大切にしなければならない・・・」

これは5年前の厳寒の1月末、倫理研究所 富士高原研修所の野外グランドの砂利の上で正座し、冷たさ、しびれ、痛みで極限に達しつつある状態の中で聞いた言葉だ。それまでは、親に感謝するどころか、親を不甲斐なく思ってきたところがあったため、頭をガツンと撃たれたような衝撃が走ったのを記憶している。

これまでたいした病気にもかからず、当たり前のように仕事に行き、誰でもできるかのように1日15㎞を走ってきた。先日はインフルエンザに感染したが、3日安静にしただけで完治し、4日目からは通常どおり仕事もトレーニングもしている。これも強靭な身体に産んでくれた、今は亡き母に感謝。

親孝行も必要だが、すぐでもできること、それは・・・親、祖先に感謝…ですね。

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